古事記には「併序(序を併せたり)」がある。いわゆる「まえがき」にあたる部分だ。
さて、ではここに何が書かれているかというと。
・古事記のあらすじ
・古事記を書いたきっかけ
・古事記はいかにして書かれたか
「書け」と言われたのが和銅4(711)年9月、上梓したのが和銅5(712)年1月。たった4ヶ月でこれだけの量(原文部分は岩波文庫版で約100ページ)の文章を書くだけでも大変であったろう。しかも、何を書かなければならないかというと「先史の謬り錯れるを正さん」とするほどの内容である。どれだけの資料を漁らなければならないことか。
で、舎人・稗田阿礼である。天武天皇の御世、天武天皇も帝紀および本辞の虚偽を改めようとしており、そのとき稗田阿礼に帝紀・本辞を全部覚えさせていた。
古事記をわずか4ヶ月で完成させるために、稗田阿礼という「目にわたれば口に詠み、耳にふるれば心にしるしき」という写真記憶能力者の存在は大きかったようである。
もちろん、完成のためにその写真記憶能力は重要であっただろうがそれよりも何よりも、太安万侶にとっては、「スケープゴート」が居ることがよかっただろう。そうでなければこの仕事、請けてなかったかもしれなかったり。
古事記は、天皇(元明天皇)というたった一人の読者のために作られた物語である。そしておそらくは、平城京への遷都を記念したものでもあっただろう。
この作品が読者・元明天皇のお気に召していただけるものになっていたら、それはこれほどのものを書き上げた自分の功績。お気に召さなかったなら自分にこんな駄文を書かせた稗田阿礼の責任。
人間のメンタリティーはこの時代からあまり変わっていないのかもしれない。
いよいよ本編である。まずは「上つ巻」。「神」の世の物語である。
天之御中主神をはじめとする別天つ神五柱。
国之常立神ほか神代七代。
その七代の最後に生まれたのがおなじみの伊邪那岐と妹伊邪那美の二柱。この二柱の神が、まぁ、やることをやって国土が生まれるわけですが。
さて、この「上つ巻」で何が語られているのかというと、結局のところ、日本の「天皇」という存在の根拠について。
天には高天原(天つ神の世界)があり、地には葦原中国(国つ神の世界)がある。
この葦原中国の国土を作り上げたのが伊邪那岐と妹伊邪那美の二柱。その後、伊邪那美は根堅洲国(死者の国)の支配者となり、根堅洲国から伊邪那美を取り返そうとして失敗した伊邪那岐の禊によって天照大御神と月読命、建速須佐之男命が生まれ、高天原の支配権は伊邪那岐から天照大御神へと移る。
須佐之男命は乱暴狼藉の末に葦原中国に追放され、ここでおなじみの八岐大蛇退治の物語が語られる。
この須佐之男命の子孫に大国主命が生まれる。大国主といえば、やはりおなじみの因幡の素兎の物語が語られる。
大国主命は、少名毘古那神とともに葦原中国を完成させる。
その完成した葦原中国に、天孫・天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニキシクニニキシアマツヒダカヒコホノニニギノミコト)が降臨する。
こうして、天と地がひとつとなり、海幸山幸の物語を経て、いよいよ、、、。
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が生まれる。
ここから、「人の世」の物語になっていく。それでも神話の名残は残してはいるが。
おなじみのヤマトタケルの物語はここで語られる。
さて、天孫が降臨したのは日向の国・高千穂。今の宮崎県。日本を統治するにはちょっと西に外れすぎている。
で、東へ東へと、「荒ぶる神どもを言向け平和し、まつろわぬ人どもを退け撥ひて」、最終的に奈良県畝火山にたどり着き「天の下治らしめしき」。
神をも倒す人ですよ、神武天皇というお方は。
以下、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化天皇と特記事項なく御世が続いていく。
で、崇神天皇、垂仁天皇を経て景行天皇。
まぁ、景行天皇自身は何もしてないんですけどね。この天皇の子に小碓命がいたわけです。後の倭建命です。この小碓命がクマソを退治したり、「東の方十二道の荒ぶる神、また伏はぬ人どもを言向け和平」したりしたわけです。
この倭建命が出てくるまで、日本といえばフォッサマグナ以西くらいの感じだったわけですよ。これで大体、本州、九州、四国というセットで日本という国が出来上がっていくということになります(北海道はまだまだ先の話、というか、古事記では出てこないんじゃなかったかな)。
すっかり「人」の物語である。もっとも、天皇は神の血を引く方でいらっしゃるから、これを単に「人」の物語としていいのかどうか。